鳥取県琴浦町の鏝絵

光の鏝絵。江戸末期から昭和初期に庶民の建築文化として全国的に流行していたといわれ、左官職人が漆喰壁に、鏝で福神や動物、植物などの浮き彫り模様を塗り、絵画的、装飾的に付けたものを言います。家紋や文字より華やかで蔵にもよく見られるので、「蔵飾り」とも呼ばれています。 昭和初期頃までに建てられている蔵には、妻壁(側面の壁)に家紋とか文字が付けられているぐらいがよい方で、荒壁で済ませている蔵もあります。戦後、昭和三十年頃から建てられている蔵には、縁起を祝う意味で、「鶴・亀・鯉・松竹梅・巾着・打出の小槌、瑞雲・立浪」などが、それぞれの家の好みによって取り付けられており、この頃から荒壁で済ませてきた蔵にも鏝絵を付け始めています。 これらの鏝絵は、琴浦町光集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏、また吉田貞一氏から指導を受けられた琴浦町中村集落の野口原貞雄氏が丹精を込めて仕上げられた作品です。このように鏝絵には家内安全や無病息災などを願う家主の思いが込められており、それに左官職人も自慢の技で応えてきました。両者の願いが伝わってくる作品、それが鏝絵です。 琴浦町観光協会 鳥取県の琴浦町
image - 鳥取県琴浦町の鏝絵 - 光の鏝絵。江戸末期から昭和初期に庶民の建築文化として全国的に流行していたといわれ、左官職人が漆喰壁に、鏝で福神や動物、植物などの浮き彫り模様を塗り、絵画的、装飾的に付けたものを言います。家紋や文字より華やかで蔵にもよく見られるので、「蔵飾り」とも呼ばれています。 昭和初期頃までに建てられている蔵には、妻壁(側面の壁)に家紋とか文字が付けられているぐらいがよい方で、荒壁で済ませている蔵もあります。戦後、昭和三十年頃から建てられている蔵には、縁起を祝う意味で、「鶴・亀・鯉・松竹梅・巾着・打出の小槌、瑞雲・立浪」などが、それぞれの家の好みによって取り付けられており、この頃から荒壁で済ませてきた蔵にも鏝絵を付け始めています。 これらの鏝絵は、琴浦町光集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏、また吉田貞一氏から指導を受けられた琴浦町中村集落の野口原貞雄氏が丹精を込めて仕上げられた作品です。このように鏝絵には家内安全や無病息災などを願う家主の思いが込められており、それに左官職人も自慢の技で応えてきました。両者の願いが伝わってくる作品、それが鏝絵です。琴浦町観光協会 光の鏝絵。琴浦町の光地区には、"鏝絵"のある家が数多くあります。48戸の集落のうち24棟に鏝絵が施されており、かなりの密集度です。これだけ密集しているのは全国的にも珍しいです。光地区を歩けば、左官職人が作り上げた芸術品が次々と現れます。そして、鏝絵は縁起の良いものが絵柄になっています。 光の鏝絵鏝絵とは・・・ 江戸末期から昭和初期に庶民の建築文化として全国的に流行していたといわれ、左官職人が漆喰壁に、鏝で福神や動物、植物などの浮き彫り模様を塗り、絵画的、装飾的に付けたものを言います。家紋や文字より華やかで蔵にもよく見られるので、「蔵飾り」とも呼ばれています。 昭和初期頃までに建てられている蔵には、妻壁(側面の壁)に家紋とか文字が付けられているぐらいがよい方で、荒壁で済ませている蔵もあります。戦後、昭和三十年頃から建てられている蔵には、縁起を祝う意味で、「鶴・亀・鯉・松竹梅・巾着・打出の小槌、瑞雲・立浪」などが、それぞれの家の好みによって取り付けられており、この頃から荒壁で済ませてきた蔵にも鏝絵を付け始めています。 これらの鏝絵は、琴浦町光集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏、また吉田貞一氏から指導を受けられた琴浦町中村集落の野口原貞雄氏が丹精を込めて仕上げられた作品です。このように鏝絵には家内安全や無病息災などを願う家主の思いが込められており、それに左官職人も自慢の技で応えてきました。両者の願いが伝わってくる作品、それが鏝絵です。縁起の良い鏝絵の絵柄が持つ意味 鶴と亀・・・「鶴は千年、亀は万年」といわれ、長寿の象徴としてよく描かれている。 鯉の滝登り・・・中国では、「龍門の滝」を登ることに成功した魚だけが龍に変身できるという言い伝えがある。波 火事除けのシンボルとして大変多く描かれている。 鳥取県の琴浦町
  • TOP
  • HOME
  • IMAGE1
  • IMGES2
  • 001
  • 002
  • 003
  • 004
  • 005
  • 006
  • 007
  • 008
  • 009
  • 010
  • 011
  • 012
  • 013
  • 014
  • 015
  • 016